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いけばなを分解して再構成する 

 

選評

新鮮な風を感じる      大岡信(詩人)

 

 今年は応募数も多く、最終選考に残った十一篇を読んでの印象からすると、蒼

風氏長逝後のやや沈んだ空気がうち払われ、新鮮な風が吹き始めたことがはっ

きり感じとられます。慶賀すべきことです。

 入選の長谷川春生氏「いけばなを『分解して再構成する』」は、今回が初応募の

、まだ三十三歳の若武者の論文ですが、見どころの多い論で感心しました。

いけばなのパフォーマンス性が「型」を必然的に要請したこと、茶の湯の求心性

に対していけばなが遠心的であるため、日本の芸能の中で最も早く近代的脱皮

が可能になったこと、オブジェ導入の意味をめぐって利休や茶室に考察を及ぼし

、そこからオブジェへの無防備なのめりこみに対する警告を発していること、現代

いけばなにおける「環境」と「花」の関係を自主的観点から論じていることその他。

長谷川氏は茶の方でも専門的な素養をつんでいる人のようで、論の構えと鋭さに

しっかりした裏付けがあり、今後が楽しみです。

 

複眼的な視点 − 長谷川さん      中原佑介(美術評論家)

 

 第一次選考を通過したのは十一篇だった。

「私は植物素材の魅力をこう考える」というテーマのものが二篇、残り九篇は「自

由課題」である。

 十一篇を通読してもっともよく書けていると思ったのは、長谷川春生さんの文章

だった。

長谷川さんは草月カリキュラムの一単位である「分解して再構成する」という命題

を借りて、いけばなを論じている。

その発想も面白かったが、そのいけばな論の特徴はさまざまな事柄を単眼的に

見ず、事柄に含まれる矛盾とか複合性によく眼を配っていることだと思った。

たとえば、花にいのちがあるという事実を指摘すると同時に、そのことへの一方

的な思い入れに疑問を提出する。

あるいは、いけばなが床の間や茶室という非日常的な環境に花という日常的なも

のを導入してきたという事実に対し、現代はそれが逆転して、日常的な環境に花

という非日常的なものを導入することになっているのではないかという指摘なども

、単眼的な視点からでは見えにくい。

 その他オブジェについての見方や茶の湯に関する考察など、いろいろ示唆する

ところを多く含む好論文だと思った。

よく考えて書かれた、しかも説得力の強い文章だと思う。

 

 いけばなを分解して再構成する−1  

 植物の死からの出発

 

 植物素材を中心に造形していくことによって、いけばなは特殊な芸術ジャンルと

しての評価を得ている。ここで、中心にという言葉をわざわざ使ったのは、戦後、

いけばなのモダニズムが大衆層に浸透して以来、植物以外の無機物、鉄、石、

プラスチックなどのオブジェ(物質)も使われ始めたからである。

植物だけで構成する芸道から植物+アルファで構成する芸術へと、いけばなの定

義は大きく変動した。このことは、後でくわしく述べるが、最も注目すべき点となる

。このパートではまず植物だけを取り上げて考えてみたい。

 「また、叫びがきこえた−−声帯のない、非人間的な叫び。みじかくてするどい、

はっきりしていて、冷たい感じ。その音調には、クロースナーが生れてからきいた

ことのない、ひそやかで、金属的なひびきがあった。本能的に、クロースナーは、

その音源をさぐろうと、自分のまわりを見まわした。目に見えるところでは、お隣り

の婦人だけが生きているものなのだ。彼は、彼女が片手をのばして、バラの茎を

指でつかむと、鋏でチョキンと切るのを見た。と、またもや叫び声がきこえた。」(

ロアルド・ダール『あなたに似た人』田村隆一訳)

 この小説の主人公は人間には聞きとれぬ音声をキャッチする”音響捕獲機”な

るものを発明し、はからずも人間たちに切り取られていく花たちの悲鳴を聞いて

しまう。

  無機物を素材とした絵画や彫刻の場合、その出発点は白いキャンバスであり

、不定形のブロンズである。いいかえれば、それらは無からの出発である。それ

に対して有機物を素材とするいけばなは、生きている花を一度断ち切ってしまう

ため、死(仮死)からの出発ということになる。すでに死にかかっている素材を、私

たちはできるだけ延命させようとする。そのこと自体は、確かに人間として温かく

尊い行為だが、いけばな作家としては、植物の生と死の現場に立ち合い、その意

味を深く凝視しなければならない。彼らの死に、いかに新しい生を注ぎこんでいく

か。作家の責任は重い。いけばなでは、この生-死-新生という弁証法的な転生

をくぐり抜けるところにユニークさ、難しさがある。生と死の洞察こそ、いけばな論

を始めるにあたっての原点となる。このことはいつも念頭に置いておきたい。

  昔から日本人は花に対してヒューマン(人間的)で、友人づき合いのような、き

わめて親密な関係を築いてきた。もちろん西欧人も花に托していろいろな伝説や

神話を作り上げてきたが、日本人ほど花と一体になって、その美を愛好してきた

のはめずらしい。そのことは和歌、連歌、俳句など、文学に関するものの中に多

く見ることができる。能の芸道論も花に托して語る、という特殊な手法で組み立て

られている。茶の湯では武野紹鴎や千利休が、花を読みこんだ藤原定家や家隆

の歌を例に上げて、わびの心を説明している。

  個々の花はそういった歴史的文化的な属性を所有しながら私たちとともに生き

てきた。そのことは、花それ自体を冷厳に観察し、分析することをこばむ、ある種

の感傷を私たちがもっていることをも意味する。私たちはいままで花や木に対し

て、あまりにも一方的な思い入れをしてきた。そしてそれがいけばな作家をがんじ

がらめにしているのである。

 「松をいけて、松に見えたらだめでしょう」(『勅使河原蒼風花伝書』)という、イサ

ム・ノグチのことばがある。これはただ単に、素材を跡形もなく分解して、一見、

松に見えないようにしなさい、というのではなく、日本人の精神の中に根強く脈打

っている松に対するイメージを、一度ぶち壊すべきだ、そのあとの、フィルターの

かかっていない眼に、初めて松の本性が見えてくるのではないか、ということを意

味していると思う。植物にからみついている余分な着物を剥ぎ取り、感傷を一度

思い切って否定したところに、新しいものの見方が生まれ、みずみずしいイメージ

が湧き起ってくるのだ。

  次に、植物の特性としての一枝一葉の複雑な曲線に注目したい。そのねじれ、

たわみ、そりは生命の苦闘の跡にほかならず、彼らは無言のうちにも精一杯何

かを訴えかけてくる。竹や杉などは一見、直線に見えるが、よく観察してみるとそ

こには微妙な線のでこぼこが発見できる。十九世紀末、ヨーロッパでおこったア

ール・ヌーヴォーの芸術運動は、この植物の持つ不思議な生命感をモチーフにし

た。パリの街で見たエクトール・ギマールの「カステル・ベランジェ」「メトロ・ポルト・

ドーフィヌ」、またバルセロナにあるアントニオ・ガウディの「カサ・ミラ」「カサ・バト

リョー」などの建築。それらにはいずれも、まといつき、どこまでも伸長していく植

物的な線の流れが、独特なフォルムを形成しており、私に強烈なショックを与えた。

  そのような植物たちの叫びやささやきは、太い幹や枝のたわみの中で、ある種

の果てしない饒舌な世界を呈している。また、単に植物素材といってもその中に

含まれるものの種類は無限に近い。さらに松には松の特性があり、しかも同じ松

でも五葉松と根引き松では違った味わい、くせを持っている。一定の公式にのっ

とって素材を把握することはできないし、逆に作家たちには新しい素材と対峠す

る可能性が常にある。そこで彼らはいままでの経験と直観とを武器にして素材に

立ち向かうことになるのだが、長い間植物たちと密着した関係にあるため、かえ

ってその饒舌の罠に陥りやすい。植物の投げかける無数の言語、記号の中から

、作家がそれとの共存をはかるひとつの言語体系を取り出し、形象化していくた

めには、禁欲的な制作態度で臨まなくてはならない。 

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認識の方法としての“型”

 

 ではどのようにして植物に見られる多様な表情を、ひとつの統一的な方法論で

抽出していったらよいのか。このへんからいけばなの“型”の問題に入っていきた

い。

  植物はある形態を有しているが、それは生命体としての成長過程にあるフォル

ムであり、唯一無二のものだ。彼らと私たちとの出会いは、偶発的な一回性の事

件である。いけばなが瞬間芸術であるといわれるのはこうした大前提による。枝

の曲がり具合、葉の茂り方、花の表情などは、その時その場のものでしかない。

いけばなは即興性を宿命としているので、そこで対話の仕方を間違えると取り返

しのつかないことになる。ジャズに見られるアドリブと同様に、そのときの作者の

精神力、気力の充実度によって、成功か失敗か大きく分かれてしまう。いかに大

作家でも、体調を崩していたり、精神的な悩みを抱えていたりしていては、いい花

はいけられない。パフォーマンス性を持った芸術は、プロセス自体が重要な要素

となるので、作家の人格と作品との距離が他の芸術と比べると多少近いとも考え

られる。

  そのリスク (危険)をいかに小さくしていくか。その解決の一手段として、いけ

ばな作家たちは数百年間の苦闘の中で、いわゆる“型”を発明した。

それは植物を手にする一般の人にとって便利なマニュアルとはなった。しかし“型

”を、できるだけ正確にモデルを再現するという技術論としてとらえることによって

、いけばなのパフォーマンス性、アドリブ的な緊張の世界はだんだんと後退して行

かざるをえなかった。

植物の生き生きとした流れは堅苦しい鋳型に無理矢理嵌め込まれた。ここでは

すぐれた手わざがすぐれた作品を生むとは限らないし、作家を職人と化す危険性

もあるのだ。ただし、いけばなの技術は他分野の芸術に比較すればやさしい。修

養期間が長いのは、技術の精進以上に、少し大げさにいえば、禅的開悟の心境

にいかに近づくかということがあったせいかも知れない。

  加藤秀俊氏は、いけばなの“型”というのは、個々の特殊な生命体をひとつの

構成物に作り上げていくにあたっての認識の方法であって、単なる技術論ではな

いといっている。無機の物質は物理化学的に均質であるから、それを扱う方法も

操作主義的(誰がやっても常に同じ結果が得られる) になり、コピーが可能だが

、いけばなの創作上にはこのようなことは全く考えられないと明言している。抽象

的、精神的な実存的認識を伝達していくのが、他でもない“型”の継承であるとい

うのだ。(“「かた」の相伝と日本芸道” − 『図説いけばな大系 いけばなの文

化史』所収)            

  日本の伝統芸能には“口伝”という伝達方法がある。重要な教えを杓子定規に

とらえず、口伝えにすることでフレキシブルに対処させようとする。これは活字に

よる伝達では不可能なもの、あるいは抜け落ちるものを、師から弟子へのタテの

同族意識的な連帯感にもとづいて継承しようとする日本的な伝達方法だ。“口伝”

のような考え方は現代社会の身近なことがらにも見られる。たとえば契約行為に

おいて、日本人は四角四面の文書のやりとりより、宴席などを設けてお互いの心

のふれあいのうちにことをまとめようとする。これも技術(事務処理)ではなく、認

識(心の交流)に近いのではないだろうか。

  次に“型”と“形”の問題に移ろう。川添登氏は『建築と伝統』の中で次のように

述べている。「カタチとは、いうまでもなくカタ・チだろう。そして神話学者、松村武

雄によれば、チとは、血、乳、風、霊などであって、神以前の霊的な存在態だとい

う。風はコチ(東風)、ハヤチ(疾風)のチであり、霊は、タチ(田霊)、ミズチ(水霊

)のチだという。これを見れば、チという言葉が、エネルギーといった

ような生命の根源的なものを意味していたことは明らかだ。とするなら、伝承され

てきたカタという原則に、それぞれのおかれた状態で、生命を付加したとき、それ

がカタチになるというわけだ。」

  カタはあくまで次のチを生むための原型だということがわかる。カタは骨であり

、チは筋肉である。筋肉によって初めて骨は動くことができる。そのチはどのよう

にして出てくるのか。ここが芸術創作上のキーポイントである。

 「春のころ、秀吉公、大きなる金の鉢に水を入れて、床になおさせ、傍に紅梅一

えだ置かせられ、宗易に花つこうまつれと仰らる。御近習の人々、難題かなと囁

かれけるを、宗易紅梅の枝さか手にとり、水鉢にさらりとこき入れたれば、開きた

ると蕾とうちまじり、水上に浮みたるが、えもいわぬ風流にてぞ有りける。公、何

にとぞして、利休めをこまらしようとすれども、こまらぬやつじゃ、との上意御感斜

ならず。」(「茶話指月集」 − 井口海仙『茶道名言集』所収)

  何と融通無碍な“型”の認識による“形”の創造であろうか。と同時に彼の即興

的なパフォーマンスは現代いけばなにつながっていく伏線となる。創作とは技術

ではなく、本来のものの見方をズラすことによって発見していく、新しい精神の在

り方を探る、ということかも知れない。

 

  遠心的ないけばな       

  ところで、茶の湯の点前を取りあげてもう少し“形”について考えてみたい。

室町・東山時代の同朋衆たちの協議によって茶礼はある程度の法式を形成した

が、わび茶の完成は村田珠光、武野紹鴎をへて千利休まで待たねばならなかっ

た。

彼らの生きた時代は、日本史上まれに見る激動の時代であり、中国以外の異国

との接触もあった。そんなとき、日本の伝統芸能がいっせいに起ったというのは

興味深いことだ。 茶の湯の点前もまだまだ流動的でフレキシブルなものであった

ろう。利休は片膝をたてて点前をしたという説もあるほどだ。(熊倉功夫『茶の湯』

  それが江戸の政情安定期に入るとしだいに組織化され、パターンが誕生して

いく。これは茶の湯の硬直化と見られなくもないが、その法は一概に否定しきれ

ない。 長い歳月の間に洗練された点前の所作の中には茶人たちの深い知恵が

ひそんでいる。 ふくささばき、茶筅通しなど、ひとつひとつの所作には納得のいく

合理性が認められ、無駄な動作のまったくない、切りつめられ、緊張した動きとな

る。

 そこには一個人の思いつきによる軽薄な考えなど太刀打ちできないきびしい“形

”がある。

それは無定型に繁茂していく自己主張や自意識といった諸々の人間的煩悩を、

形の中に封じ込めることによって、逆に、自我からの解放を求めたといえる。 そ

のとき、封じ込められた身体と心は自分のものではなくなり、ここに禅的な、宇宙

と自己との融合(合一)が起きる。

  自我を消し去ることで新たに浮かび上がってくる精神の内奥の世界。 そこに

は自由で闊達な境地が開けると信じたい。 茶の湯の世界では、細かく厳しい点

前の所作を通過していくことによって、心の解放が逆説的に顕現される。 いけば

なは、自我を身体の所作に封じ込める茶の湯と違い、外に向う形体に、おのれ

の心を托さなければならない。 茶の湯は求心的であり、いけばなは遠心的であ

るといってもよい。

そしてこの遠心的要素によって、いけばなは日本の芸能の中で、いち早く近代へ

と脱皮していくことが可能だった。                       

心を自由にし、生き生きとした状態にするのは茶の湯と同じだが、いけばなはあ

るひとつの具体的なフォルムを常に提起していかねばならず、しかもそれは美的

かつユニークであることが要求される。

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    花器からオブジェへ−−−徹底性の回復

  花器は人と花とを媒介する重要な第三者だ。 通常それは内部が空洞であり、

水が入れられる。すべてをオリジナルなものにしようとすれば、作者は花器をも

制作しなければならないが、現在、ほとんどの人は、既成の花器を使っている。

足利義政の東山時代に盛名をはせた山科家の雑掌、大沢久盛は飯筒や馬盥を

花器に見立てて砂の物立花をいけている。

素材自体も自然の山野に咲いている既成品であるし、いけばな造形にはそうい

った既成品を配置、構成していく要素が大きい。しかし徹底的に素材を変形させ

ていくことはしない。無機物のように花を扱っていくことのナンセンスさは前にも述

べたが、日本文化の特色のひとつにこうした徹底性の欠如が上げられる。

たとえば建物の縁側。ここは外部空間ともいえるし、内部空間の延長とも考えら

れるし、明確に内外を境界づけることを避けている。あるいは日本画の中に見ら

れる余白の美−雲、霧、靄などによる空間表現。 これらは二つのものを断絶す

るのではなく、連続させる媒介者として存在する。 「月も雲間のなきは、いやに候

。」(村田珠光)という美意識は、日本人には直感的に理解できるものだ。

 このあいまいさ、不完全さは各人の解釈と想像を誘発する触媒としての力を発

揮するが混沌とした世界を統一できない精神の苦悶を伴う。  それはある運動

を有しており、多義性を持っているともいえる。

 創造が最終的にめざすところは、フォルムを契機として作家あるいは鑑賞者の

精神に自由で豊かなイマジネーションを発生させ、それを昇華させるという無形

のことにある。

  話をもとに戻そう。私たちは既成の花器を使うにしても、それを作った人間の

意志と戦って屈服させるというような用い方はしない。もっと友好的に互いに歩み

よって、協力関係のうちにある物事を完遂させようという、非常に日本的な方法

論が根底にあるからだ。 花器はこの場合、作者と花の間を調整する媒介者であ

る。 それにあき足りない完全主義者は自分で自分の触媒(花器)を作る。 さらに

それを純粋に美的対象物にしようとすると、水を入れるための器というこれまで

の考えを捨てて、一個のオブジェ (作者によって特別に意味づけられた純粋物

質)を出現させることになる。

 花器はオブジェとして、 用の美から純粋美へと転換していく。 日本の美術、工芸

、芸能を見渡してもその多くは生活の基盤の上に成り立つ、用の文化の匂いの

するものだった。それらは芸術的合理性とは少し離れた位置にいたといえよう。

 オブジェの出現は徹底性の欠如の回復であり、きわめて西洋的な考え方の導

入である。 これらオブジェ群は無機物質を使うため、種々のフォルムが形成可

能となり、ますます複雑巨大化していく。 ここにおいて植物素材とオブジェとの比

重が微妙な問題を提起してくる。

 オブジェの導入は素材としての植物のウイークポイントを補填した。またそれに

ともなう他分野からの技術と素材の流入は、いけばなの世界を確かに広げてき

たといえよう。 このことは最初に触れたように、いけばなの定義さえをも変えてし

まった革命的なできごとであったと思う。 とくに勅使河原蒼風氏の仕事の中で、

オブジェと花たちの蜜月は、戦後長期間にわたって続いた。 ただ、この綱渡りは

蒼風という巨大な才能だからこそできたのかもしれない。

  ここでしばらく私の空想を聞いていただきたい。

オブジェが花器の延長線上に現れたものとすれば、利休が創案した竹の花入れ

は植物のオブジェ化といえなくもない (一説には武野紹鴎が創案したともいう)。

これは当時にしては新鮮な驚きを持って迎えられたことだろう。 それまでの花入

れは中国から輸入された青磁や胡銅などのいわゆる唐物とか、和物でも備前、

信楽といった陶器であったという背景を考えれば、無機物の手を借りることなしに

全体が植物で構成されたいけばなの出現は、確かに画期的であったろう(竹の

花籠は竹筒そのものより、存在感、物質感において弱いといえる)。

 茶室(数寄屋)も、ある記号を拾い出していけば、巨大な自然のいけばなといえ

るのではないだろうか。

竹格子の上に塗り上げられた土壁の床の間は、竹の花入れを包みこむ、胎内空

間を思わせる人間的な温かみを持つ器だ。 さらにその床の間は、杉、竹、松な

ど多種類の自然木によって構成され、表現されたさらにひと回り大きなアシンメト

リーの空間(茶室)によって包み込まれている。 その中にいけられるのは、花入

れの中の一輪の花だけでなく、そこに「一座建立」している人間たちでもあるので

はないか。

 私の空想はあまりに突飛すぎて場違いだ。ただ、こんな空想を抱くのは、現代い

けばなが無機物のオブジェに何の防御もせずのめりこんでいき、あえなくからめ

とられていくのではないかと、危ぐしているからだ。 茶室建築という、大自然を巧

妙に造形化したひとつの宇宙を目の前にすると、まだまだ植物素材による表現

の可能性は残されていると思えてくる。ただ、誤解のないように断っておくが、私

はオブジェを否定しているのではない。 新しい素材を研究し、それに果敢に挑戦

していくことには賛成であり、もし花がなかったら「土をいける」(『勅使河原蒼風花

伝書』)のは芸術家として当然のことだと思う。

しかし他ジャンルとのクロスオーバーの問題は、今後、長い時間をかけてその功

罪を慎重に検討していかねばならないだろう。

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    現代空間が求める非日常的ないけばな 

 次にいけばなにおける日常性と非日常性について述べたい。 いけばなにはも

のを配置、構成していく要素があるといったが、それをいかに演出していくかを考

えると、いけばなと環境という大きな問題につながる。

 日常的に目にすることのできた花には、自然の生命のシンボルとして特別な意

味づけがなされ、床の間という非日常的な空間にいけられた。           

「世に朝顔の茶の湯と申す由来は、古え秀吉公、利休が露地に、朝顔みごとに

咲きたる由、聞し召され、朝会渡御なりしに、一葉もなく払い捨てけり。さて御入り

有しに、床の下地窓に、さもうるわしきを花一輪、つるおかしくあしらいたり。公、

上覧ありて、花のせんすぐれ思し召し、御感浅からざりしよし申しならわし候。」(「

源流茶話」−−−『茶道名言集』所収)

  有名な朝顔の茶事である。           

 床の間の非日常性をきわだたせるために、芸術家の冷酷なエゴイズムが働い

ている。 茶室そのものが「市中の山居」というコントラストによって非日常性を有

していたが、現代ではこうした全体がハレの場となるような空間が少ない。    

 床の間自体、長い歴史の中で定型化し、緊張した空間性を失い、それにともな

い茶花の定型化も進んだ。

  ここで単純な仮説を立てると、これまでのいけばなは環境(非日常性)+花(日

常性)であり、現代のいけばなは環境(日常性)+花(非日常性)ということになる。

  この逆転の意味するのは、現代空間には非日常的な花、つまり確かな造形意

識に裏打ちされたいけばなの登場が期待されているということだ。

 前述したオブジェの登場には、こうした状況の要請があったと思うのだ。

  ところで利休七ケ条に「花は野にある様」という言説がある。            

蒼風氏は「あとから愚人のつくつたネゴトにちがいなし」(『勅使河原昔風花伝書』

)と突き放している。                           

この文献の信憑性はどの程度のものかわからないが、蒼風氏がこういいたくなる

のも当然だ。この解釈をめぐって、ほとんどの人たちが利休に好意的であり、あ

るいは深読みをしすぎていると思う。

  利休七ケ条はこの後、「一、炭は湯の煮ゆる様。一、夏は涼しく。一、冬はあた

ゝかに。」と続いている。                           

そこには「諸悪莫作衆善奉行」というような禅的世界に通じる背景がある。        

 まったくあたりまえのことをいっているのだが、それを完全に実行するとなるとこ

れほどむずかしいこともない。                        

したがって言説の表面上の意味はそのまま素直に受け取るべきで、このコンテク

ストから「花は……」だけを特別に深読みすることはかなり危険ではないだろうか。

  私は利休には、茶花に対する考えに混乱があったのではないかと思う。    

前述の見事な紅梅のいけばなの例を考え合わせると、造形意識と自然のシンボ

ルとしての意味付けとの間に矛盾を感じてしまうのだ。                

また、朝顔の茶事に関しても異議を唱えたくなる。

 もし利休が自分の造形に自信があったならば、つまり、庭に咲いている多くの

朝顔と床の間の一輪の朝顔とはまったく別のものであるという自覚があったなら

ば、朝顔をわざわざ全部切り取る必要はなかったと思う。              

 利休にしてはあまりに作為が見えすいているのだ。ただ、これは私の独断と偏

見である。利休は私にとっても永遠の謎だ。

 話が脱線したついでにもうひとつ利休のエピソードを紹介して、いけばなと環境

の問題を探ろう。

 「秀吉公、春のころ利休宅へ御成りの節、一畳台目にて御茶上げられ候に、天

井よりひるかぎして、花生をつり、糸桜の咲きみだれたるを、座にみちみち、にじ

り上り、中敷居とひとしく生られたり。公御座に入りあそばされ、御立ちもやらで、

にじりよらせ拾い、座のかざりを御上覧あり、もうけの御座とて、枝ぶりのおのず

からすこしよぎたるかたに着座ましまし、御機嫌ななめならずなりしとなり。」

                     (「源流茶話」 − 『茶道名言集』所収)

  利休は茶室を花器として使いこなしている。                    

環境はある意味ではスケールの大きい花器である。特に現代ではあらゆる美術

分野にわたって、作品の自己完結性が失われつつあるかに見える。       

ライトアート、キネティックアートなどの動向や「彫刻が台座を失い絵画が中心を

消失し始めた」(中原佑介『現代芸術入門』)ことによって作品と場はその有機的

関連性をますます強めている。

そのような動きと並行して、いけばなの世界でも独立した一個の作品としてでなく

、現代の空間との連続性を強調して制作する動きが出ている。               

その場の磁力を探り、空間との緊密でのっぴきならない関係をもちながら、作品

を作り出していくことは常に主体的に作品の周囲の状況を先取りしていくことによ

って、成功が約束される。

 いいかえれば、周縁のものたちを、絶えず中心に取り込むことで空間を蘇生さ

せていくということだ。                                  

 環境は特別な条件のもとで初めて意識化され、生き生きとした動きをみせ始め

る。

  今後、いけばなはどのようなコースをたどって、どこへ行くのだろうか。     

  ここで谷川徹三氏の「庭の美学」(『茶道全集 巻の第九』所収)から形式苑と

自然苑についてのくだりを引用したい。

  「形式苑に向ふとき我々はそこに明かに芸術的方向をとるが、その方向を進

めば漸次庭の庭たる特色を失ひ庭の庭たる美をなくするに至る。と共に他方、自

然苑に向ふとき我々はそこに明かに庭の庭たる特色、庭の美を見るが、その方

向を進めば漸次芸術美を離れて自然美に至り、結局庭の芸術性を拒まねばなら

なくなる。」

  形式苑を造形いけばな、自然苑をこれまでのいわゆる自然調の盛花や投入

花とおきかえて考えてみると、私たちいけばなにたずさわるものたちのディレンマ

がたちあらわれてくる。         

 どちらもいままで培ってきた貴重な表現であり、単純に図式化はできないが、と

もかく現在、私たちが重要な分岐点にさしかかっていることは確かだ。

「現代の造形的な合理精神と花の非合理精神とがそこで衝突しているのである。

」(瀧口修造「オブジェの発見」 − 『勅使河原蒼風の世界』所収)といえるし、そ

の衝突があるからこそ、いけばな芸術はダイナミズムの火をかきたて続けること

が可能なのかもしれない。

  ただ、このようにいけばなは解体の危険性を孕んでいるとしても、作家としては

具体的に作品を提示することによって少しでも新しい方向に歩んでいくしかないと

思う。

 たとえば、1982年東京草月展、同年北開東地区草月展などに出品された勅

使河原宏氏の竹の連作は、あたかも竹が外国語をしゃべり出したような、そんな

不思議な感動を私に与えた。

 

 かたき地面に竹が生え、

 地上にするどく竹が生え、

 まっしぐらに竹が生え、  (萩原朔太郎「竹」)

 

 という竹のイメージを見事に逆転させ、そのシュールな曲線(東京)、アクロバテ

ィックで幾何学的な曲線(北開東) はモノとしての花の可能性を私に見せてくれ

た。

  「私はあえて表面的な自然観とは断絶したところから、いけばなを再スタートさ

せなくてはいけないと考えるのだ。そのためには、素材の固有名詞を取り去って

、ものとして対する構えが必要になってくる。」(勅使河原宏『花造形』)

  花や木が送信してくる種々の記号を解析し、新しい文脈の中に新しい言語を

発見していくこと。  

 そして、その新しい美学をどのようにして表現して他者を説得していくか。    

 いけばな作家には造形に対する厳しい自覚と独自の哲学の展開が迫られてい

る。

 

                      (了)