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視る制度の解体 

 

 視る制度の解体             

  

   竹のプラザは何を示唆したか

 勅使河原宏氏はその多才な活動ぶりでここ数年にわたり、つねに古いいけば

な界に新風を送り続けている一人である。

 これは草月という一流派の自画自賛ではなく、客観的に距離をおいてみても氏

の仕事を無視できるものではない。

 1982年頃より始めた竹による連作は、とりわけいけばな作家としての地盤を

固めた。

 一口に竹といっても、少しずつ違うテクニックを駆使し、表現方法を深化させ、

マンネリズムに堕すことをまぬがれている。

 

 五月の創流祭に、イサム・ノグチのプラザを使って大作が生けられた。

 今度はどんなものを見せてくれるのか、ある種の期待を抱きながら、私は草月

会館の前にたった。

 そして数秒、数分……

 私は少しとまどいを覚えた。

 割り竹の曲線が複雑なうねりを展開し、プラザ全体を覆っている。

 直線の竹がそれらの柔らかい空間に切り込むように突き出している。

 葉をつけたままの竹もある。

 そしてよく見れば、最上部に藤原定家の歌を自ら墨書した屏風が立ててあり、

茶席らしきものが造られている。

 これが果たして『作品』なのであろうか。

 案内状にはいけばなと明記してある。(後日の草月172号には“モニュメント”と

してあった)

 

 そんな疑問を抱きながら、私は上映時間が迫ったホールへと足を運んだ。

 草月祭が終わった数日後、もう一度会館へ行く機会があった。

 幸運にもまだプラザの作品は残されていて、茶席も設けられていた。

 

 『瞬庵』の自然木の長イスに一人腰掛けて、若い女性のたててくれた抹茶を喫した。

 すると自分のなかの構えていたものがすうーっと消えていく。

 これまでのどんな茶室にいるときよりもリラックスしている。

 そこには細かな法に縛られている茶室からは伝わってこない、なんの衒いもな

い喫茶法の精神が流れているように思われた。

 いや、茶室という言葉からはみだしてしまうような、小宇宙を感じさせる。

 モノクロームに囲まれた不思議な異空間のなかへ、私はしだいに誘い込まれて

いった。

 それはあたかもいにしえの竹取物語がSF的なヴィジョンでもう一度再生したか

のようだ。

 ここで初めて私は氏の試みの一部分をとらえ得たように思った。

 この竹のプラザはさり気ないなかにも、その中に入り込んでくるどんな人間たち

をもこばまず、やんわりと包み込んでくれる不思議な肌触りを持つ空間構成とな

っている。

 それはいままで一方的に作品を見ていた、あるいは見せられていた観照者に

対して、作者の側から数歩近づき始め、これまで厳然としてあった両者の間の境

界を取り除こうという姿勢を見せている。

 その分、作品としての全体的な把握ができにくい。

 つまり、いままでの単に見るだけの一個の完結した作品ではなく、その作品の

なかに観照者が入り込み、体感することによって、初めて成就するような、そんな

抑制の効いた空間である。

 これまでの強烈なイメージが遠ざかった反面、そこにいるものは知らず知らず

のうちに作者の深い趣向のなかに分け入っていく。

これはいくら写真や映画で定着させようと思ってもなかなかまとまりにくい。

それだけ、いまこの時、この瞬間から受ける実感がこの作品の命であるからだ。

 竹のプラザは今後のいけばなの行方を占うにあたって、深い示唆を与えている

ように思われた。

 

いけばなを自立させた床の間の功罪

 

 能と能舞台、茶の湯と茶室、映画と映画館、絵画・彫刻と美術館・画廊、音楽と

コンサートホール、etc…

 造形芸術、あるいは視聴覚芸術と呼ばれるものの多くは、それが発表され、演

じられる特別な場所があって、初めてその芸術が芸術として自立できる。

 

 その特別な場が備えもっている特殊な構造が複雑であればあるほど、場と芸術

の緊密度は増していく。

 大劇場で演じられる能は、いかにすぐれた役者をもってしても、充実した空間に

はならない。

 それに対して絵画や彫刻などは美術館でなくとも、ある一定の条件さえそろえ

ば、どこでも眼にすることができる。(だが、適応性があるからといって、それが必

ずしも芸術としてすぐれているとは限らない。)

 一昔前の日本では、床の間という空間があらゆる美意識の中心点として存在し

ていた。

 そこには書画が掛けられ、花が飾られた。

 ある茶人が大名物の掛け軸を苦労して手にいれた。

 ところがあまりに大きすぎて茶室の床の間をはみだしてしまう。

 そこで改めて、軸の大きさに合わせてわざわざ床の間を作り直した、という話が

伝えられている。

 すでにある床の間(建築)とすでに表装された掛け軸(書画)の緊張関係のなか

で、床の間が一歩譲った形となったのは興味ぶかい。

 いけばなと床の間は、能と能舞台ほどの強い結び付きはないが、その歴史的

関係は古く深い。

 すでにある床の間という空間に、これからなるいけばなは、その空間に合わせ

て作られた。

 それは正座による一定のポジションから常に鑑賞されることをルールとした。

 床柱には掛け花入れを掛けるようにもできた。

 その竹釘の位置や打ち方は茶人たちにとって大問題であり、彼らの美意識が

試されることでもあった。

 

 定められた空間のなかで、視ること視せられることの制度が打ち立てられ、い

けばなはそれに合わせてしだいに様式化していく。

 ここで思い出されるのは小津安二郎の映画だ。

 カメラを床上数十センチに据え置いて撮影する、伝説的なローアングルの手法

は、彼の演出スタイルを様式化した。

 仰角になるので、ふだんはいらない天井のセットまでも作らなければならなくな

り、費用がかさみ、当時の関係者の頭を悩ませた、などという裏話ものこっている

ほどだ。

 ローアングルは『登場人物をすべて、なんらかの意味で敬意を払える人間とし

て描くこと』や『目の前に展開されている行為を神聖な儀式としてみるに効果的な

視点』であると佐藤忠男氏は指摘している。(『小津安二郎の芸術』)

 この指摘は床の間を中心とした芸能(いけばな、茶の湯、香など)に何とよく似

ていることであろうか。

 不自然なほど人工的なセッティングのなかで、小津監督はかたくなに自己のス

タイルを洗練していった。

 一人の映画作家の手法は、しかし映画の手法のすべてではない。

 ところが、いけばなは一つの視る制度と一体となった。

 床の間におかれたものは尊敬の要請、美的宗教的隔離性の強さを引き起こし

た。

 いけばなは定型化し、類型化し、と同時にいけばながいけばなとしてよって立つ

基盤を確立した。

 それらがやがて形骸化していった事実は論を待たない。           

 

 さまよえるいけばな 

 とにかく床の間はいけばなにとつて、生き延びていくための必要空間ではあっ

た。

 だが、生を論じることは死をも論じることでもある。

 いけばなが長期間にわたる床の間との関係で脆弱化していきつつある頃、期

せずして時代は大きく変わり、ライフスタイルの欧風化は目覚しい勢いで日本の

伝統建築をのみこんでいった。

 日本建築の最も象徴的な空間である床の間は、その西洋的合理性のもとにバ

ッサリと斬り取られてしまった。

 曖昧で多義的な空間である床の間は、それ自体魅力的なテーマではあるが、し

かし、先を急ごう。

 つまり、いけばなはいけばなのための特別な場所、聖なる空間から否応なく追

い出され、新しく、居心地の良い特別な場所を求めて歩きだした。

 機能性という考えから各部屋が成立している洋風建築は、何も無い、つまり何

かを入れる、あるいは置くことを前提にしている和室の構造と違ってその空間に

余計なものが入り込む隙を与えない。

 絵画や彫刻のための居心地の良い“美術館”に類したものなど、しょせんある

はずもなく、せいぜい辿り着いた先は、小さなウサギ小屋の玄関の下駄箱の上で

あった、などというのはあまりにも皮相的な見方であろうか。

 今日の平均的ないけばなの場としての現実は、良かれ悪しかれ、そのような状

況なのだ。

下駄箱の上だってバカにはできない。

 新聞勧誘がきたり、出前のソバ屋がきたり、ひょっとして初恋の人が訪ねてき

たり、美に一家言持つウルサ方がやってきたり、どんな人間が登場するか分から

ない、非常に刺激的な空間でもある。

 それはいけばなが床の間から抜け出し、一歩、いや半歩、社会に顔を向けた

体勢の空間、エントランスなのだから。

 エントランスはいけばなの窒息化をまぬがれる出口(イグズィット)でもある。

 もう一歩の勇気が“書を捨てよ町に出よう”の発想につながる。

 ホテルのロビー、レストラン、広場、公園、駅など、多様な社会的公共的空間の

場がいけばな作家の前には開かれており、現実にさまざまな場に進出しているこ

とは確かなのだが、ただ単に家庭のいけばなの延長、あるいは水戸黄門のイン

ロウよろしく、流派の墨守する型にすがりついたアナクロニズムで仕事をしている

場合も多いのではないだろうか。

 それらの環境は床の間のように、準備万端整えていけばなを待っていてくれは

しない。

 いけばなに替わるものはいくらでもあるし、機能性や経済的合理性の見地から

すれば、そんな邪魔なものはないほうがよいかも知れない。

 場に対する戦略を深く考慮しないと、いけばな人はここで大きな壁にぶち当たる。

 壁にぶち当たったとき、いままで意識の表層を流れ続けていた“いけばなとは

何か”という問いが、いや、“いけばなには何ができるか”という問いかけがリアリ

ティを伴って迫ってくる。

 いけばなを考えることは、作品をつくることとほとんど同義なのだ。

 環境に対する目配りと計算、それにその場が持っている意味の把握や掘り下

げができていないと的外れなものになってしまう恐れがある。

 

なぜ公共の場に生けるのか 

 有季定型を前提とする俳句で大切なことの一つに、いかに季題を諷詠するかと

いうことがある。

 季語と他の言葉との繋がりの必然性が弱い場合、いわゆる『季が動く』という。

(“猫柳”が“こぶし”になっても、“ボート”が“ヨット”になってもたいして変わりがな

いというとき)

 そうかといって、さもありなんというような、季語からの安易な連想で作句すると

、月並みで陳腐なもの、『つきすぎ』になってしまう。

 

 ちょっと冒険だが、これをいけばなにあてはめて考えてみよう。

 例えば病院という場(季題)が与えられたとする。

 そこで働いている医師や看護婦たち、入院患者たちは何を求めているのか、ど

んないけばなをほしがっているのだろうか。

 まず考えられることは暗いイメージの花は避けるべきだろう。

 それでは一つ思い切って明るくハデなものでいこうと制作してみても、神経過敏

な患者たちにとつてはイヤミな上滑りした偽善的なものとして映るかもしれない。(

もちろんいけばなが明るいとか暗いとか、そんな簡単に割り切れるものではない

のであるが、ここでは問題を単純化して考えてみたい)。

 作る側と見る側との両者の緊張したバランスが微妙に作用して作品が出来上がる。

 この事は後半部分で再度チェックしていく。

 もう一つ例題を挙げてみよう。

 駅という場(季題)はどうであろうか。

 何万、何十万という人が行き交う場。

 そこにはいけばななど全く関心を持たない、あるいは見る余裕のないサラリー

マンや、酔っ払い、イタズラしようと眼を光らせている子どもたち、ヒガンバナは生

けてはいけないと思い込んでいる老人たち、他の物に眼を注ぐより、自分がみら

れていることを望む自意識の強い女の子たち、そんなあらゆるタイプの鑑賞者、

無関心者を、どんなポリシーと熱気で作品の場にひきずりこんでいくのか。

 駅はいけばなの社会的インパクトがどの程度のものなのか試されるスリリング

な空間だ。

 

 彼らなど全く用は無い、本当にいけばなが好きな人たちだけにみてもらえれば

よい、というのなら、何も駅や公共の場にノコノコ出てくる必要はない。

 通行人を管理制御するためのガラスケースや、一段と高い台を設けて作品と人

間とを分離してしまうことなどは、あえて、なぜ、屋外でいけばなを制作するのか

という問いに答えているだろうか。

 展示期間中のいろいろな予測できないハプニングを逆に楽しむ余裕や、自分も

雑踏のなかの孤独な都会人になって、改めていけばなを突き放して見るのも一

興だと思うのだが。

 ある編集者からこんな話を開いた。

 ファッションショーの背景にいけばなが制作された。

 モデルたちは、横に張り出している木の枝に軽く触れながら登場してくる。

 するとその接触によって作品が微かに揺れ動き、それがはからずも新鮮な演

出になっていたそうだ。

 

 外に出て行けばいくほど日常性からの芸術的隔離が薄くなり、作品としてのしっ

かりした構造性や、作品部分以外での作者と社会との積極的な関わりが重要に

なってくる。

自分の仕事を理解してもらうための根強い説得や根回しは、いけばな人を家庭

の孤独なパフォーマーから真のパフォーマーに変貌させるに違いない。

 その点、目的遂行のために立ちはだかる壁を一つ一つたんねんに突き崩して

いく人として、クリストの芸術と行動はいけばな人にも深い示唆を与えるであろう。

 また、クリストのような正統派とは違う、もっとゲリラ的な例もある。

 先日壁に絵を描く男が商店街の依頼によって私の街にやってきた。

 倒産して現在使われていないデパートの壁数十メートルにわたって絵を描いた

り、自動車にスプレーを吹き付けて極彩色の車に変貌させたり、などというパフォ

ーマンスを行った。

 彼のなかにはまず何がなんでも描きたいという衝動があるそうで、横浜のガー

ド下の壁などに無断で絵を描きまくっていたという。

 警官がくると直ぐに逃げ出さなければならないので、必然的に描く速度も速くな

る。(余談だが、酒を飲んでいると警官に捕まっても酔っ払いとして大目にみてく

れるそうだ。正気で描き続けていると、何のためにこんな事をやっているのだろう

と、まわりのものにとっては不気味に思えてくるのかもしれない。あるいは確信犯

としての思い上がりを厳しく処罰するということなのだろうか。)

 絵の内実というよりも、彼の表現欲と社会の管理組織とのイタチゴッコが、描く

行為に輝きを与えているのであろうが、しだいに彼をひきたてる仲間が集まり、プ

ロダクションらしき形もでき、いまでは職業アーティストになりつつあるという。

 タレントとしての彼が与えられた仕事を真面目にこなしていくことによって、彼の

社会に対する戦闘性は薄らいでいくかもしれない。

 

  「間に合わせ」の花

 さて、このように空間が多様化するにつれて、それらの空間に合わせ丁寧に対

応していかなければならないが、そうした要請に対して、一部の人たちは『いけば

な』することを放棄し、ただ単に観葉植物の鉢植えをポンと置いてみたり、フロー

リストが作ってくれた既製品のフラワーデザインをそのまま飾る傾向が強くなって

いる。

 とりわけフラワーデザインは、トライアンギエラー、ラウンド、クレッセント、ホガ

ーズ、ホリゾンタル、エルシェイブなど、いくつかの幾何学的な単純な形に花が囲

いこまれ(つまり花が形に奉仕している)、その分移動がたやすく、どこにでも飾

れ(身にも付けられ)、ハデで、適度にメルヘンチックではある。

 フラワーデザインをその人自身がするというのならまだしも、フローリストまかせ

の場合が多い。

 丹精込めて育てた家庭の花を贈ったり、贈られたり、時にはそれを生けるとい

う行為で喜びを表わしたりといった、そんな素朴な交流がなくなりつつあるのは淋

しい。

 植物は一手にフローリストが管理販売するものだという認識が強まり、フローリ

スト側も消費者の需要に答えて、花をパック化して売るサービスが行われている

ということ。

 それらに拍車をかけたのは、他でもない、いけばなの各流派が各々の伝承して

きた繁雑な形や逆立ちした伝統意識に拘泥していたためである。

 江戸時代ならばともかく、秘伝とか奥伝とかいった言い方で、単純なものをより

複雑化し何年もかかってただ一方的に教えるということ。

 これは流の経済的自立を促すではあろうが、そんな瑣末なことにそれこそ長い

時間をかけて“宝探し”を続けている弟子たちにとっては何と悲劇、いや喜劇であ

ろうか。

 かた苦しいお稽古事のイメージや、従順なる精神主義をいつまでも引きずり続

けていくようでは新しい光はさしてこない。

 空間の空虚さを早急に埋めるための、間に合わせの花(既製品や定型の花)

ではなく、各人の美意識をイキイキと発揮させ、自分だけの空間を創出していく手

作りの花が望まれる。

 『間に合わせる』とは急場をしのぐという意味だが、『間』という言葉は非常に含

蓄に富んだ言葉で、『 かい を本字とし、門と月の会意で、門のとびらのあいだか

ら月光がさし入るさまを表わし“すきま、あいだにはさまる”を義とする。』そうで、

空虚な間隙(虚)という考え方と、あいだに物がはさまる(実)という両方の意味を

含んでいて、『それは空間を占めて、手ごたえのある構成物がびっしりと充実する

、たしかな立体感にみちた』ものであるという。(『藤堂明保、清水秀晃、日本語語

源辞典』)

 だとすれば、いけばなが間に合わせられているという状況を逆手にとつて、より

積極的な意味をその言葉に付与していったらどうであろうか。

 いけばなは新しき場を求めて、社会の荒波の中へさすらいの旅に出たのである

が、これはいけばなが存続するに当たっての最大の試練であり、また、固定化し

て古くなったいけばなを変革する絶好のチャンスでもあるだろう。

 定型の場を持たないということは、あらゆる不定型な可能性に満ちたものとの

出会いを秘めていることでもある。

 

   いけばと庭の間

 正面性、静止性などの特色をもつ床の間のいけばなに、利休は満足していた

のだろうか。

 いけばなに限って言えば、床の間という額縁を壊そうと色々な考えを展開したよ

うで、二、三の大胆な例もあった。

 それでも満たされなかったとすれば、当然それに代わるべき造形が行われてい

たに違いない。

 植物による造形。

 それは茶庭である。

 茶庭は客が茶室へ向かうまでの間のはしがかりである。

 此岸から彼岸へ、日常性から非日常性の世界へ招きこむための重要なプロセ

スである。 

 そこでは茶人の厳しい構成力によって、華麗なうつろいやすい花など一切拒否

され、あまり変化のない、しかし造形に適した常緑樹をメインにして造園された。

 それは広々とした空間を見せるというよりも、樹木によって遮られた空間を感じ

ながら歩むということである。

 しだいに精神を集中していくことによって、客は眼に見えないものを見ていく。

つくばいで“しゃがむ”中立ちの東屋で“坐る”という視点の変化、そして歩いていく

順路の計算等、そこには舞台の演出家にも似た深い配慮が行き届いている。

 話はそれるが、昨今の迷路ブームはおもしろい現象だ。

丸太組などで視野を遮られ、狭い道を辿るとき、人々はイラだち、不安感をつの

らせる。

ただ、これはあくまでもゲームの場であるから、そんな気持ちの戸惑いを行為者

自身が楽しんでいる。

ちょっと前のフィールドアスレチックやオリエンテーリングのブームが肉体賛美の

健康的な遊びであったのに対し、迷路は人間の心のなかのゲーム性を肉体化し

たものとして興味ぶかい。

茶庭は自己否定ともとれる厳しい姿勢を自らに課すが、迷路は出口を求めて最

大限の努力(自己肯定)を強いる。

 両者は違った次元とベクトルで自己実現に向かっていると言えるのではないだ

ろうか。

 茶庭と限らず庭というものは、まずそこを人間が歩き回ることを前提としている

場合が多い。

 それはある地点(過去)から次の地点(現在)へ行くまでの時間的な経過の豊か

な広がりを持つもので、ある種の物語性を帯びてくる。

 

 だから迷路は終わりが引き延ばされた物語とも言える。

 茶庭も迷路も、そこに足を運んでいるとき、各々の人生を読み取ることもできる

かもしれない。

 その回り方によっても、例えば開けた風景から木立ちのなかにはいるのと、木

立ちのなかから開けた風景に出会うのとでは、心理的にも微妙なズレが生じてく

ることだろう。

 視点の移動によって、A1−A2−A3というように見る人は次々に記憶を集積さ

せていき、それらの背後にある総合されたイメージを想像力によって補う。

 小高い丘でもないかぎり全体を一瞬にして見渡すことは出来ない。

 映画的(モンタージュ的)であり、絵巻物的でもある。

 

 観照者が問われている 

 勅使河原宏氏が、昨年のミネアポリスの庭を始めとして、色々な新しい庭づくり

に意欲を見せているのも、利休と同じような、これまでのいけばな概念では満たさ

れないもののその閉じ込められていた表現欲が、あるコンセプトのもとにしだい

に形をなしてきたものであろうか。

 それとも映画作家としての眼が働いているのであろうか。

 草月祭のプラザは文字どおり人々が集う“広場”であってこそ、その場の意味を

全うする。

 それは祭の場ではあるが、かぐや姫が月へ帰るための祈りの空間であり、ある

いはまた、茶室へ通うための新しい趣向の茶庭であるかもしれない。

 その中に投げ出された人間たちは重要なファクターとなる。

 以前私は、茶室のなかの人間たちをも利休は生けたのではないかと想像をめ

ぐらせたことがあったが、(『いけばなを“分解して再構成する”』草月152号)そん

なヒューマンな柔らかく暖かい空間が現実に 造られつつある。

1985年、草月ホールに制作された『幻想の家』は、まだ作品と観照者との距離

感があったものの、すでに人間たちを入れる器が整いつつある状況を予感させ

た。

 思わずその『家』にはいりこんでみたくなるこの傑作は、以後の『庭』作品の先

駆けをなしたと言える。

 限られた時空間に行われるいけばなは、絶対的に観照者がいなければ成り立

たない。

 観客が一人もいない演劇はすでに演劇ではない。

 茶の湯、連歌、舞踏なども同様で、これをとりあえず熱い芸術とすれば、絵画、

彫刻、文学、音楽などはいつどこでも条件さえ揃えば接することのできる、冷めた

芸術と言えようか。

 これは最初に書いたとおり、それが演じられ、発表される場所の特異性と深く

結び付いている。

 ただし映画はその両方の部分を重ね持っている。

 観客が一人もいなくても時間どおりに映画は上映されるだろうが、そんなことが

三日も続けば興行中止となり、オクラ入りしてしまうのがおちだ。

 だが複製芸術であるかぎり、機会さえあれば眼にすることのできる利点は見逃

せない。

 また、音楽にしても冷めた芸術とは言い切れない。

 テープやレコードで気軽に聴けたり、楽譜を読める人はそれなりに楽しめるが、

例えばナマの感覚をとりわけ大事にするジャズの演奏などはどうであろうか。

 その晩のお客の質、グラスのかち合う音、話し声、タバコの煙、拍手、それらが

臨場感となって初めてジャズ.スポットとしての記号が出揃い、ジャズメンは本気

になって演奏を始め、アドリブの部分ではまさに偶然性の女神の微笑みを求めて

演奏を続けることだろう。

 その晩その晩によって新たなアドリブを創造しなければならないジャズメンの苦

闘ははかり知れないものがある。

 そういえば映画『ラウンド・ミッドナイト』(1986年・アメリカ映画・ベルトラン・タヴ

ェルニエ監督)は、老ジャズメンに対する一市民の深い尊敬の眼差しで話が運ば

れる。

 一人の立派な人間とそれを乗り越えるべく現われた若者との師弟関係を映画

化する事例はよく黒沢明の映画などに見受けるが(例えば『赤ひげ』のなかの三

船敏郎と加山雄三、『野良犬』の志村喬と三船敏郎)、純粋に観照者の立場を守

って描き続けた映画は珍しい。

 一人の平凡な、しかしジャズに対する真の理解を持ち続けた男がいたことによ

って、老ジャズメンは彼のジャズを燃焼し尽くすのである。

 茶の湯においても『主客相助けて』という言葉にみえるように、その日の客はた

だ単に客ではなく、茶事という一場の劇を成功に終わらせるために努力する、質

の高い観照者でなければならない。 

 熱い芸術は大衆の支持が得られなくなれば捨て去られるか、あるいは一部の

愛好者の間で細々と生き長らえるかのどちらかである。

 ただし、大衆の支持を早急に求めようとするあまり、すでに制度化した保守的な

ものの見方に迎合した創作方法を採るようでは、単なるファッションとして風化し

ていくだろう。

 通俗的なテレビドラマなどその代表である。

 とまれ、いけばなが再び大衆の支持を広げるためには、表現方法、伝達方法

の慎重な考察と点検が必要だ。

 例えば伝達の複製化は一部のエリートだけの独占物であったものを、あらゆる

人たちへ向けて解放した。

 また、翻訳文学は読まれないより読まれたほうがよいに違いない。

 ただ、これまで見てきたように、最近の大掛かりないけばなはビデオとか映画、

写真ではどうしてもその全体像がつかみにくい。

 クリストの梱包について『俺だったらキャンバスの上に梱包された絵を描くね。

その方がずっと簡単でいいじゃないか』といった人がいるが、ブラックユーモアとし

てはともかく(現にクリスト展‥軽井沢高輪美術館7月18日〜9月6日‥ではそ

のようなデッサンやドローイングが展示してあった)、それは何か大きな勘違いを

していると言わざるをえない。 

 

 新しい展開への期待 

 だいぶ話が脱線したが、最後にもう一度勅使河原宏氏のプラザの作品に戻ろ

う。

 いけばなと庭の狭間とも言える多義的な空間に入り込んだ氏は、その中のはり

つめた緊張感によって新鮮な仕事を続けている。

 プラザの作品が草月祭という祭のための特別なモニュメントであってもうこれっ

きりであろうが、作品としての完成度を違った方向から追求していくものであろう

が、どちらにしても、ここにちりばめられた様々な暗示は今後の氏のいけばなに

直接、間接、関わってくるに違いない。

 地から養分を吸収しながら生きている植物群で構成されている庭は、百年後、

二百年後をもその射程にしている。

 大地からすでに切り取られている植物によるいけばなは、限定された時空間を

輝かす。

 その大きな違いを、今後どのように展開していくのか、注目してみたい。

 空間全体を植物で覆い、かつ、その中に人がいて、話し、動き回る要素が加わ

ることによって、いままでのいけばなの概念を覆すような仕事になる予感がする。

 場の拡散化(床の間から屋外へ)、作品の拡散化(完結性から連続性、孤立性

から観客参加へ)、ジャンルの拡散化(いけばなから庭、現代美術へ)、素材の拡

散化(ただし、勅使河原宏氏は一貫して植物素材を追求し続けている。最近やや

もすると安易に異質素材に飛びつく傾向がみられるが、氏のこの制作態度はい

けばな作家としての矜持を感じさせて爽やかである)、時間の複製による拡散化

等の状況は、いけばなの蒸発化ともなる危険性がないとは言い切れないが、そ

の危険性に対して真摯に対決することによって、初めて新しい道が切り開かれて

いく。

 拡散化は新しきいけばなの膨張化とも考えられる。

 この原稿を執筆している段階では、まだ勅使河原宏個展は開催されていない。

 その個展で何が語られるのか、どのような新しい展開があるのか、作者がその

力を問われていると同時に、見る側の我々もその力を問われているのである。

 視る制度の解体は何をもたらしたか。

 作品空間と観照者との豊かな共鳴によって、おのずから答えが導き出されてい

く。

 

                      (了)